2007年8月24日金曜日

鈴木茂と小坂忠


鈴木茂のソロ・アルバム「BAND WAGON」が好きだ。はっぴいえんども勿論、大好きだが最近よく聞くのは鈴木茂の1stと2ndアルバム、それと小坂忠の「HORO」。なんといってもオシャレ。75年、76年に録音された作品で「BAND WAGON」はロスのミュージシャン、なんとリトルフィートのギタリスト、ロウェル・ジョージも参加している。その他はティンパン・アレイのメンバーがプレイしている。当時としては最高峰の面子だろう。あの頃、16ビートのリズム隊の演奏に、こんなリズムがあるんだ、と驚きスライド・ギターのテクニックに度肝を抜かれた記憶がある。小坂忠のアルバムは、とにかくソウルフルでファンキー。日本人の創る究極のソウルミュージックだ。その音楽が21世紀になっても色あせない極上のビンテージ・チューンとなって心地よく耳に馴染む。まだまだ熱い夏の夜、冷たいウォッカ・トニックと一緒に是非、どうぞ!

2007年8月23日木曜日

高校野球の夏

佐賀北高校の劇的な逆転劇で幕を閉じた今年の夏の甲子園大会。去年ほどの盛り上がりはなかったものの、ミラクル佐賀北の存在で大いに沸かせてくれた。
決勝戦だけは見逃せない、と思い昨夜の「熱闘甲子園」だけはしっかりとチェックした。しかし、ABC制作のこのTV番組。いつから始まっていたんだろう?たしか大学生の頃も毎晩見ていた記憶があるから、70年代後半から続いているのか…?夏が来ると必ずオンエアされる定番中の定番。長嶋三奈さんの変わらない笑顔もすごい。いったいいくつになったんだろう。甲子園の決勝が終わると夏もいよいよ終わりに近づく。子供の頃だったら、そろそろ夏休みの宿題の残りの量の多さに恐怖する時期だ。そんな夏の記憶の中で必ず浮かんでくる名試合、名選手の数々。松山商業と三沢高校の延長18回、再試合や箕島高校、PL学園、横浜高校、そして早稲田実業の選手たちの顔が、白い歯が、それぞれの年の夏を印象づけてくれた。

いつまでも変わらない人気を保ち続ける夏の甲子園。さながら、夏の野外で名映画の上映をみんなで集まって楽しむ、「ニュー・シネマ・パラダイス」の一場面のような思い出なのか…。

2007年8月22日水曜日

携帯電話の効能について


今年、還暦を迎える知人がついに携帯電話デビューを果たした。ちょっと恥ずかしそうに「旅先で公衆電話を探して走り回るのに疲れた」と説明していた。「かけてきても出ないよ。こっちがかける時しか使わないから…」とも言い訳していたが、着信履歴が残るのは便利だ、とも言っていた。確かに年中、全国を旅して回っている彼にとって「携帯電話を持っているのが前提」の今の日本は生きていくのが大変な国になっていたようだ。渋谷のハチ公前の公衆電話がなくなったのは何年前のことか。以前は急ぎの電話をかけるためにあの長い列に並んでイライラしてたっけ。今は公衆電話を探すことの煩雑さを忘れてしまい、必要としている人たちのことも何も考えたことがなかった。

もうすぐ80になる田舎の母親が最近、膝の手術で入院しはじめて携帯電話を持たせた。家にひとりでいる父親とすぐに連絡が取れるように。離れて暮らしている我々や孫たちの声もすぐに聞かせることができるように。病院の公衆電話まで歩いていけない病人にとってはまさに必需品だった。退院すると最近は、すっかりテレビの上の飾りになっているが…。

携帯電話に馴れっこになった現代人。逆に無くなってしまったときの恐怖も尋常ではない。1991年にさかのぼってあの頃の自分を取り戻せるのか!

2007年8月21日火曜日

熱くて長かった夏、お疲れさま。


長い10日間がやっと終わった。めまぐるしく忙しい日々が過ぎ、頭はカラッポ。身体はあちこちがぎしぎしいっている。中高年にとって1年で一番暑い時期に過酷な毎日だった。

あれは確か、10日くらい前に出張に出て、夜戻ってきた翌日、同窓会に参加するため田舎に車で帰り、その翌日すぐ戻ってきてまた出張に出て、結局やっと帰ってきたのが昨日。会社に出てきたのが実に10日ぶりだった。その間に2つの野外イベントに参加。雨に降られたり、照りつける太陽と格闘したり、何年ぶりかでバーベキューを楽しんだり。さまざまな「ザ・夏」気分を味わった。こんな夏が一体何年続いているんだろう…。普通にお盆休みとか夏季休暇とか取ってみたいものだ。ふと気がつくと、8月も残り10日。あー、夏休み!はいつ来るんだろうか。

2007年8月10日金曜日

時代劇が好きだ!


日本人が大好きなドラマといえば、時代劇。テレビでも映画でもさまざまな主人公が登場する。原作は時代小説が多く、人気があるのは、池波正太郎や藤沢周平先生。仕掛け人シリーズや山田洋次監督の映画でおなじみだ。

大衆文学のジャンルの中で時代小説がいまひとつ評価が低いのは何故だろう。作家自身も肩身の狭い思いをしているらしい。単純な勧善懲悪的なストーリー展開。涙を誘う人情話。使い古された起承転結。いろいろな理由があるんだろう。素直に時代劇が好きです!と言えない恥ずかしさがあるようだ。しかし、ここで考えて見て欲しい。世界中で自分の国の歴史に誇りをもてない国民が存在するだろうか?かただか建国200年程度の国でも、自分の国の成り立ちや伝統、文化にプライドとリスペクトを持ち、大切に語り伝えている。日本でも戦国時代や幕末の英雄たちだけにスポットライトをあててもてはやすだけではなく、江戸時代の長屋の町人文化や下級武士の質素で合理的な生活スタイルをもっと大切にしないと、この美しい国の大切なものが失われてしまう。

自信を持って大きな声で「時代劇が、時代小説が好きだ!」と叫ぼう。

2007年8月9日木曜日

歴史小説と時代小説

歴史小説が好きだ。小さい頃、NHKの大河ドラマを毎週見ていた。別に好きで見ていた訳ではなく、我が家の習慣だったんだろう。忠臣蔵や義経なんかを毎回、ぼんやり見ていた。自発的に大河ドラマを見るようになったきっかけは、中学生の時。北大路欣也主演の「龍馬がゆく」だった。小学生の夏休み。市立図書館でたまたま少年少女向けの坂本龍馬の伝記を見つけ読んでみた。はまった。なぜだか分からないけど、繰り返し読んだ。何度も借りてきては返し、めんどくさくなって返すのを止めた。それくらい坂本龍馬が好きになった。大学1年の春、古本屋で単行本の「竜馬がゆく」全巻を無理して買った。それから司馬遼太郎作品を片っ端から読みまくった。「坂の上の雲」は圧巻だった。

司馬作品は一般に、歴史小説と呼ばれているが、歴史小説と時代小説との違いとは何だろう。歴史上の人物や事件を取り上げるのが歴史小説。過去の時代背景を借りて物語を展開していくのが時代小説。という定義があるらしいが、どこから違ってくるのか曖昧らしい。ワイド・サイズとミクロの差か?
池波正太郎や藤沢周平なんかは時代小説の両雄。でも、読んでもいまひとつぴんと来なかった。最近では浅田次郎の新撰組物、山本一力の江戸人情物、なんかが面白かった。

そこで結論、胸を張ってみんなに読んでいることを自慢できる小説が「歴史小説」。こっそり、自分だけの楽しみで読み進む小説が「時代小説」。というのは短絡的すぎる分析か!

2007年8月8日水曜日

70年代の若者たち


一昨日、高校時代の先輩で音楽仲間だった35年来の友人と久し振りに深夜まで痛飲した。

初めて会ったのは高校生だけの反戦フォーク集会(こんなコンサートがあったこと自体が今や驚きだ)

お互いに真剣にベトナム戦争や学園紛争の嵐の時代の中で社会に対する怒りや将来の夢を飽きることなく話し合った。よしだたくろう、加川良、ニール・ヤングに憧れ古井戸の二人みたいになりたかった。二人で詞と曲を持ち寄って練習を始めた。今ならさしずめ、ゆずかコブクロか?フォーク・ギター2本で何かが変わる、と信じていた。その後、彼は加川良の「下宿屋」に憧れて京都で浪人生活。私は永島慎二の「若者たち」に影響を受けて東京の中央線沿線の阿佐ヶ谷に下宿して数年を過ごした。70年代の前半、日本中で若者たちが何か大きな力につき動かされるように表現し、苦悩し、離散していった。

夢のような時代だった。

お互いに50を過ぎて飲みながら思い出すのは、薄汚い焼き鳥屋の匂いとセブンスターのほろ苦さ、若すぎた自分への恥ずかしさか…。

2007年8月6日月曜日

8月、最初の週末に


私の住んでいる町では、この週末大きなイベントが連続して開催された。

4日の土曜日には県営の総合運動公園で野外のコンサート、2万人が参加。日曜日には恒例の花火大会が港の近くで開催され15万人が集まったらしい。コンサートのラストでも花火が打ち上げられ、大歓声があがった。日本人にとって夏に花火はなぜか自然に盛り上がってしまう習性があるようだ。なんでも江戸時代から花火大会は全国で開催され、夏の風物詩として欠かせないイベントだったらしい。子供のころ、夕食の後みんなで近所の空き地に集まって花火を楽しんだ。あっという間に終わってしまう花火の赤や緑の火の粉を見ながら子供心に夏の夜の哀愁みたいなものを感じていたのだろうか。今思い出してもなぜかキュン、となってしまう思い出。終わりがあるから、楽しい。はかない。日本人特有の感覚なんだろうなあ。




2007年8月3日金曜日

台風上陸に思うこと


今年になって2回目の台風上陸。北海道では地震と津波。アメリカではミシシッピイ河の橋の崩落。いやなことが重なって、どうなってるの地球。

気を取り直して、台風についての私の思い出を書いてみる。生れが四国の高知県で、足摺岬のそばの町だったのでテレビで台風が来るたびにニュースに取り上げられるほどの台風銀座だった。夏休みに入って退屈な毎日の中で台風接近のニュースは、かなり刺激的な出来事だった。なぜか高知の人たちは台風が来ると川の水がどのくらい増えてるか、波の大きさはどのくらいか、港の船の様子はどうか、自分にはまったく関係ないのに、のこのこ見に行ってしまう。事故にでもあったら大変なのに、野次馬根性まるだしで集まってしまう。ある年、友人の家の車でのこのこ近くの海まで状況視察に出かけて行った。ものすごい雨、風の中なんの使命感もない阿保な若者たちは必死で海に向かった。突然の突風で友人の軽ワゴンが一瞬ふわっと宙に浮いた。そして、みごとに屋根と床が逆転していた。大雨の中、3人がかりで泣きながら、びしょ濡れで車を押した。悪戦苦闘の末、やっとひっくり返し結局、海にもたどり着けずそのまま逃げ帰った。

台風が来たら、海や川に近づいたらだめです。あたりまえか!

2007年8月2日木曜日

フォーク・ソングを聞きたい夜


久し振りに大好きなフォーク・シンガー、加川良さんのCDをたっぷり聞いた。71年に「教訓Ⅰ」でデビューし一世を風靡した伝説の巨人であり、70年代から今もずっと歌い続けている現役のアーティストだ。彼を始めて知ったのは1971年の中津川フォークジャンボリーでのこと。当時、高校生だった私は夏休みに入ってすぐアルバイトをして資金をためて友人たち4,5人と遠く岐阜県までフェリーや電車を乗り継いで出かけていった。その頃の私たちのアイドルは、岡林信康や五つの赤い風船、高田渡、URCレコードからレコードをリリースしていた関西フォークのアーティスト達だった。71年のフォークジャンボリーはさまざまな伝説、逸話を生んだのだが、何しろ日本初の大型野外フェスで3万人ともいわれる若者たちが集合し、テントでキャンプしながら3日間のイベントを楽しむはずだった。はず、というのは開演して2日目の夜、観客の一部がステージを占拠してトーク・インが始まりコンサートが中止になったのだ。お目当てのアーティストのライブのほとんどが見れず、サブ・ステージでの吉田拓郎の「人間なんて」のパフォーマンスも見逃して、落胆した我々にとって唯一の収穫が「加川良」との出会いだった。人なつっこい表情で淡々と歌う彼の真摯なパフォーマンスに、しぼりだすように歌う決して美声とはいえないハスキーな歌声に、完全にはまってしまった。その後、74年に発売されたアルバム「アウト・オブ・マインド」はまさに名作だ。あの夏から36年、いまだに真夏の夜に急に加川良の歌声を聞きたくなってしまう。聞いているときだけ、あっという間に10代の頃の自分に戻れるような気がする。多分!


追記:もっと自慢は、2日目の深夜たまたま演奏していたテント小屋であの「はっぴいえんど」の生のライブを見た。衝撃だった。4人ともうつむいて、さもいやそうに演奏していた。

2007年8月1日水曜日

ささやかな脳内整理


昨夜、家人から半ば強制的に私の蔵書の整理、処分を懇願された。前々から我が家の本棚とささやかな書庫が満杯で本の置き場所がなくなっていた。しぶしぶ家人が前もってダンボール箱にピックアップしてあった本をチェックした。人間は何でなかなか物を捨てられないのだろう。一度、所有すると惜しくなってしまうのか、はたまたなんかの機会にもう一度必要になるかも、と心配するのか…。懐かしい本が見つかった。大切にしていた漫画が処分候補の筆頭だった。それぞれの本を読んだときの過去の自分を思い出して苦笑してしまう。とりあえず救出された本は、大友克洋の今や貴重な漫画「童夢」「気分はもう戦争」「ショートピース」「さよならにっぽん」また読みたくなった。故、永島慎二の名作「若者たち」、これを読んで東京のアパートを阿佐ヶ谷にしたっけ…。山際淳司のスポーツ・シリーズ多数。「江夏の21球」は不朽の名作だ。松本清張「日本の黒い霧」、高橋和巳、柴田翔、あーきりがない。泣く泣く処分対象になったのは、五木寛之・遠藤周作・筒井康隆・山下洋輔・野坂昭如・椎名誠、時代を感じますねえ。結局、ダンボール5箱くらいになった。なんだか、自分の歴史の一部を処分するみたい。自分の脳の一部が消えてなくなってしまうような喪失感を感じる。PCのハードディスクの掃除だと思えばなんでもないんだろうけど。
そして、決して二度と読み返すことがないだろう本たちがまた、ひっそりと眠りについた。